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2020.06.02

【特別寄稿(前編)】地域エネルギー×ローカルメディア=地域プラットフォームに

Text by 北原まどかNPO法人森ノオト 理事長)

 2020年2月3日、豪華客船ダイヤモンド・プリンスが横浜港の大黒埠頭に入港。新型コロナウィルスの集団感染が確認された。私が暮らし、活動の拠点を構える「丘の横浜」こと横浜市青葉区は、港・横浜より約20km。ちなみに、たまエンパワー株式会社のある東京都多摩市からは約10kmで、県をまたぐけれども多摩丘陵の一帯と考えれば「御近所さん」と言える。

 2月22日に、地元・青葉区で生産した大豆と、横浜の麴を使った手前味噌づくりを控えていた。会場となる里山の公園管理者と講師の料理家と、ギリギリの調整をして、なんとか開催に漕ぎ着けた。翌週からは講座をオンラインと併用し、大規模イベントを泣く泣く中止とした。そして、全国一律の休校、社会活動の自粛......、私が運営するNPO法人森ノオトも、3月以降は表向きにいっさいの活動を休止し、雇用をどうするか、今後の事業をどうするか、先行きの見通せない状況が続き、瞬く間に「コロナ」の大波に飲まれていった。

 緊急事態宣言が発せられ、長女の休校と次女の保育園登園自粛、「ステイホーム」が叫ばれるなかで、たまエンパワー株式会社の代表・山川勇一郎さんからメッセンジャーで連絡がきたのは4月半ばを過ぎた頃。「オンラインの"学びの場"をつくりたい。この社会変化のなかで、様々な分野の最前線で活躍する "変人"ゲストと語り合いながら、これからの時代を生き抜くヒントを参加者含めて共有したい」という彼の思いに賛同し、私も"変人"の仲間として「エンパワーライブ寺子屋」のゲストとしてこの新しいプロジェクトに参画することになった。
 
 私は、横浜市青葉区を拠点に、2009年11月にローカルWebメディア「森ノオト」を創刊した。同年1月に長女を出産したことが直接的なきっかけだが、それ以前にフリーランスの環境ライターとして、地球温暖化やエネルギー問題、食の安全などを取材してきて、地球環境への危機感を募らせていた。Think Globally, Act Locally. この言葉の実践者でありたいが、私にはビジネスセンスも高邁な思想もない。「環境」を軸に書いてきた経験を頼りに、乳幼児を抱えながら「半径15分」のローカルに根ざして書く場をひたすらつくってきた。

 そもそも、編集者は「黒子」であり、自分が伝えたい世界を体現している人を集めて、見せて、書いて、表現することが仕事だ。メディアという舞台にどの役者を載せるのかで、世界観をつくるプロデューサー役割とも言える。そんな「黒子」が思いがけず表舞台に立つことになったのは、3.11―東日本大震災と東電福島原発事故がきっかけだった。当時2歳になったばかりの娘を抱え、うっすらと汚染された横浜の空気を吸うこと、水道水を飲むこと、地産地消の作物を食べることに、危機感を覚えた。私たちの生きる土台を脅かした張本人であり、しかしそれなくしては生きられない血脈とも言える、エネルギーインフラのあり方を変えたいと思った。乳飲み子を抱えた私に何ができるのか? と考えたが、たまたま、日本全国の自然エネルギーに取り組むプレイヤーや、世界のエネルギー政策を取材してきた経験があった。エネルギーに詳しい「お母さん」というポジションで、ローカルメディアで知り合った仲間たちに声をかけ、エネルギーの全体像を学び、自らが望むエネルギー社会像をつくっていくというプロジェクトを立ち上げ、1年半、全精力を注いだ。2012年9月に、当時の政権の国家戦略担当大臣に仲間とつくった『お母さん版エネルギー基本計画』を持参し、「時間がかかっても、少し値段が上がっても、子どもたちの未来に負の遺産を残さない、自然エネルギー社会を私たちは望む」と直訴した。しかし「脱原発」は閣議決定されず、その後、政権交代。その後、私は、『暮らし目線のエネルギーシフト』(コモンズ・2013年)を上梓する。あとがきにはこう記している。
 「2012年12月の総選挙で感じたのは、『自分で考え、自分で判断し、自分で行動し、自らが社会に参加するプレイヤーが増えなければ、真の意味で持続可能な社会はつくれない』ということ。だから、持続可能な社会をつくるための最短距離は、もしかしたらエネルギーシフトの活動をするよりも、それに関心を持つ市民の数を増やすことではないだろうか。地域に暮らす普通の主婦たちが、まちづくりの担い手としてイキイキと活動していく姿を見せていくことで、それに賛同する人を少しずつ、確実に増やしていくことが、もしかしたらエネルギーシフトの最短距離なのかもしれない」

 山川さんに初めて会ったのは、2014年2月の「コミュニティパワー国際会議」だったと思う。世界各国の「コミュニティパワー」のプレイヤーが福島県にそろい踏みし、様々な切り口で各地の取り組みが紹介された。私も末席で、「エネルギーの世界に"楽しい""おいしい""かわいい"を!」と拙い発表をした。ローカルメディア「森ノオト」の活動をNPO法人にして、1年が経ったころだ。山川さんとは、森ノオトで多摩電力の取り組みを取材したり、青葉区でのエネルギーの学習会で講師に迎えるなど、交流が続いていた。その間、エネルギーの地産地消、自給自足を目指す取り組みは、日本のあちこちで小さく花を咲かせていた。


 「あの時」と「今」は、とても似ていると思う。

 私たちは「変化」の真っ只中にいる。その変化の波にどう乗るか、乗り切っていくかは、自分次第だ。ただ流されるのは、決して悪いことばかりではないかもしれないが、こうした時に世間一般に充満するのは、ポジティブよりもネガティブなエネルギーの方だ。「希望の種」を見つける意志を持つのか、あるいはそうしたコミュニティに身をおくのかどうかで、自分の在り方も変わってくる。森ノオトの記事では、コロナ禍の中で見つけた穏やかな暮らしや足元のささやかな幸せに光を当てている。「エンパワーライブ寺子屋」は、積極的に変化を起こし自ら"変化を起こす人"になろうと呼びかけている。
 
 5月4日に第1回目がスタートした「エンパワーライブ寺子屋」。初回のゲストは熊本県南阿蘇の農家・O2ファームの大津愛梨(Eri)さんだ。2014年のコミュニティパワー国際会議で初めて会ったEriさんは、この間子どもが4人に増え、何度も世界をわたり、熊本から東京に出ては全国的なNPOの代表として政府のなんちゃら委員会で強烈に発信し、私からしたらまばゆいばかりのスーパーウーマン。そんなEriさんが寺子屋ではすっぴんで畑をバックに「昔、そうなっちゃったこと(大量生産とか景観破壊とか)は仕方ないんだよ。攻撃しない。でもこれから同じ社会には戻れないから、何かの変化を起こさないと守れないんだよ」とフランクに語りかけるのだから、一気に距離感が縮まってしまうではないか。あっという間に1時間半が過ぎ、Eriさんの話を聞いて、ローカルメディアとしてやりたいことが、むくむくと湧き上がってきた。勢いそのまま、メモを書いて、山川さんに送った。

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・ローカル情報のつくり方
 →単なる情報ではなく、書き手が自分を主語にすることで起こる読者との相互作用

・メディアは地域のアーカイブである
 →コロナで動き出した地域の動き、今だからこそ追えること。そこに過去の蓄積と引き出しがある

・ローカルメディアというコモンズ
 →都市の自然や都市の農家との関わり方、都市生活者(消費者)だからこそ心得たいこと
 →逃れられない「地域」との付き合い方を、失敗談から学んでいく

・地域を再編集する
 →既存のシステムに新たな価値をつけて発信することで地域を再編集する
 →ウィズコロナの時代に、アフターコロナの目指すべき社会を小さく実験してみる
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 第2回目ゲストはプロジェクトデザイナーの古田秘馬さん。『ソトコト』の表紙に載っていた人だ!と、ミーハー心に火がついた。画面で拝見した古田さん、あれ、ずいぶんスマートになられましたね。丸の内朝大学、UDON HOUSEなど、全国的に有名なプロジェクトを走らせる古田さんの、時代をつかんでいく力とキーワードを生み出し続ける回転力に圧倒された90分だった。彼は宇宙的視野を持ち、今は80年に一度の変革期という、これから観光、教育、都市と地方の関係は大きく転換していく、と言う。「これからの時代は"間"にあるもの。都市?田舎?→二居住という選択肢になり、仕事?プライベート?→どっちもだよね、どっちか、じゃないよね。という流れになる」との話には、まさに今のコロナ時代を経験して腑に落ちる感覚がある。

 山川さんの元上司でもある新谷雅徳さんの第3回目は、これまたパワフルだった。山川さんや、寺子屋の事務局を務める井東敬子さんのバックグラウンドでもあるホールアース自然学校は、なんと猛者の集まりなのかと度肝を抜かれた。イランやガボンなどで、地域コミュニティが主体のエコツーリズムを実践してきた。「地域住民が森を守る、地域住民がガイドをする。地域住民で組織をする。日本ならば八百万の神々を大切にするような、地域の人が昔から教えてもらっていた方法での、エコツーリズムを進めている」という新谷さんの信条は、「どんなビジネスをする時にもあせるな。アンテナを頭のうえにおいて、得られるだけ得てタイミングだけ見計らう。波にはさからうな。大きな波を見極めてのれるように準備しておく。引き出しに入れておいて鍵だけはもっておく。今できなくても10年後にはできる。それが全部できてきている。あせらない」。語り口調をそのままメモしたが、目的語が省かれていると気がついた。それを私は「情報」と読んだ。意志を持ってアンテナを立て、情報を得る。情報を引き出しに入れておく。いつでも引き出す。波が来たら、のる。情報を得るために、情報を発信している。「エコをやろうとしたらエゴをしっかりしていないとダメよ。人間はエゴを持っていることを理解しながら、隠さずに、エコを進めていく。エコもエゴなのかな。それを意識しながらやっていくことが大事かな」と、新谷さんは最後に結んだ。

 第3回目を終わってみると、寺子屋に「常連」ができていることがわかった。その中にはゲストも含まれている。第4回目ゲストの久米歩さんも、その一人だ。エネキコリを名乗り、ソマウッドという会社を経営する久米さんは、若い頃、リアルなサバイバルを経験している。静岡県清水市の興津川に惚れ込み、そこに住み着いた。携帯電話の電波の届かない山奥で、山の水を飲んで暮らし、薪でお湯を沸かしていた。「水の量と品質は時代により変動する。水は人間が関わることで変化するならば、川は守る対象になる。川を守ることは森を守ること」と、2009年に林業で会社を興した。今は太陽光やバイオマスのエネルギー産業にも手を伸ばしている。ギラギラとした眼力が画面越しにも伝わる"変人"で、突破力がものすごい。「突破力=鈍感力だと思うんです。自分は、地域では2割のファン、6割の無関心者、2割のアンチに囲まれている。傷つくけど気にしないようにしてやっている」と、久米さん(やっぱり、傷つくんだ!)。ここで、山川さんが言う。「みなさん向かっている方向が似ている。こういう出会いをきっかけに、手をつなぎましょうよ。みんな一緒にできるよ、何か!!」――お、言ったね、ついに。

 ここまでの流れで明確に見えてきたのは、地域エネルギーは地域資源をつなぐプラットフォームであり、生活のインフラであること。それを生活者(一般市民)とつなぐ術に長けている人はそれほど多くなさそう。各地にプラットフォームとして、その土地らしい「地域エネルギー×ローカルメディア」が生まれることで、何かが変わりそうだ、というのが、ここまでで私に見えてきた一つの解だった。

 第5回目ゲストの中島一嘉さんは、すぐにでもその仕組みをインストールできそうな人だ、と思った。中島さんの会社「アズマ」は、板金業から住宅建築、太陽光発電の施工、地域電力、SDGsの地域協議会など、「住・エネルギー」を軸に事業を展開している。「八女エネルギー」は設立時に73社から出資金を集め、その利益を地域に還流する構想を描いている。常連参加者の中にも熱烈なファンがいて、静かに情熱を語る中島さんの人柄が垣間見られる。「私は、リーマンショックで一度死んだ男です」と中島さんは言う。死を意識するほどに追い詰められ、そして乗り越えてきた人の迫力。だからこそ、このコロナ禍のなかにあっても、動じない。日本各地を見回しても、地域エネルギーは決して盤石ではない。地域で信頼をベースに事業をまわし、根を張ってきた自信があれば、大丈夫なのではないか、と、中島さんを見ていると感じる。 

 エネルギーには色がない、匂いがない、見えない。これまでは見ようとしなくても、生活や産業のインフラであまりにも当たり前にあったから、見る必要がなかったのかもしれない。しかし、9年前の「変化」で、私たちは見る必要にさらされた。しかし、その構造が複雑であったがために、「読み解く」ことが難しく、9年経ってなお、エネルギーに関する情報は十分に翻訳されていない。

 地域エネルギーの台頭によって、「見えない」ものが「見える」ようになってきた。今必要なのは、見えてきたものの価値を可視化し、わかりやすい言葉をつくり、伝えつないでいく技術である。それは、言葉を変えれば「編集」ということなのかもしれないし、自らが舞台に立つ「人」なのかもしれない。そのプラットフォームとして、その土地らしい「ローカルメディア」を掛け算することができたら、すでに始まっている「変人」たちの挑戦が、確かな「変化」につながっていくのではないかーー。そんな気がしている。

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