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2020.08.10

【特別寄稿(後編)】それぞれの内に生まれた「物語」が風にのって誰かに届く日

Text by 北原まどかNPO法人森ノオト 理事長)

あれからすでに1カ月以上が経ったのかと思うと、なんだか不思議な気がする。2020年6月28日(日)、エンパワーライブ寺子屋の最終回のゲストは川下和彦さん。「これからの時代をどう生きるのか?」をテーマに、川下さんのクリエイターとしての半生を聞きながら、参加者同士が深く議論をしていく、熱量は高いが静かなる内省を伴う時間だった。

2020年2月から6月までの、新型コロナウィルス感染拡大による社会の混乱と「ステイホーム」、そして、7月から「ニューノーマル」な日常が動き出すまでの、現代史上稀に見る「空白」の時間に、エンパワーライブ寺子屋では熱い学びと対話の時間が繰り広げられた。「ここが物語の中継点」という川下さんの言葉が、静かに響いている。


特別寄稿(前編)を私が書き終えたのは、エンパワーライブ寺子屋のちょうど折り返し地点、6月2日のことだった。私自身がゲストスピーカーとして話をする、5日前のことである。この時私は、様々なことがクロスオーバーして動いており、自分自身の大きな過渡期にあった。翌週にNPO総会を控えていた。個人的には、大学院の修士論文の締め切りを1カ月後に控えていた。2009年に創刊したローカルメディア「森ノオト」は10周年を迎え、創刊者が前面に立って引っ張っていく時代から、組織もメディアも、担い手一人ひとりが主体性とオーナーシップを持って、現在地も未来についても意思決定をしていくというフェーズに移り変わって1年という節目でもある。修士論文では、森ノオトというローカルメディアが実践してきた10年の軌跡を普遍化して、持続可能な地域社会の創造に役立つのかどうかを批判的かつ客観的に検証するという挑戦をしていた。自らの主体性に基づく日常と関係性を、同じ日常のなかにありながら切り離し、とことん客体化して見つめる作業は、自分自身が分断されるような感覚を伴った。そのような状況において、エンパワーライブ寺子屋で話すことに、きっと何らかの意味があるのだろうと思って、当日を迎えた。

特別寄稿「前編」のテーマは「地域エネルギー×ローカルメディア=地域プラットフォームに」。ナビゲーターの山川勇一郎さんの「編集力」で集まるゲストをつなげる一つの軸として、「ローカル」がある。地域エネルギー、クリエイター、エコツーリズムやまちづくり、いずれも「ローカル」に主体と客体の別なく集う何かを「編集」している人たちだ。第5回目までの熱量で、「ここに集った人たちで、何かを一緒にやろう!」という呼びかけまでなされているなかで、私のその「何か」の一つの仮説が、「地域エネルギー」を軸にした「地域プラットフォーム」のネットワークだった。その仮説をもって迎えたエンパワーライブ寺子屋第6回目の本番、Zoomの画面越しに見る参加者の顔ぶれが、いつもと少し違っていた。女性が多い。「はじめまして」の方も多い。あ、これは、むしろローカルメディアの運営に関心のある人が集まっているのかもしれない、と思い直した。

当日何を話したのかについては、つなラボ・遠藤亮さんのファシリテーショングラフィックに詳しい。これまで森ノオトに関わってきた79名の市民ライターが、自分を主語に語り、読者と近い立場で情報を発信していくこと。市民一人ひとりが何らかの当事者性を持ち、その分野での専門性(例えば子育て、介護、季節の手仕事や料理など)を確立していること、読者とも取材相手とも対等な関係で情報をつなげていくために、スポンサーに頼らずに独立して運営していくことなど、森ノオトで地域の多様なプレイヤーをつなげていくための試みの10年をまとめて話をした。

できあがったファシリテーショングラフィックには燃えさかる炎が複数箇所描かれており、私の話も熱量があったのだろう。そのなかで「風の人」「土の人」という表現があった(私が話した言葉だが)。「土の人」はローカルに根ざし、その範囲で暮らしを豊かにしていく人。一方で「風の人」は、ローカルで育まれた種を外に運び、あるいは外からの新しい情報をローカルに運んでくる人。その土地の多様性は、外からの種や栄養を運ぶ水や風がなければ豊かにならない。一方で、留まらずに流れ出るだけではその土地の表土は痩せこけてしまう。両方の存在が必要ななかで、私は、そして聞いているあなたは、どちらかの側面が強く、あるいは一人で両方の側面が行き来する存在なのだろうと、問うた。10年森ノオトをやり続けて、私は今、風として動くことを欲しているのではないかと、遠藤さんのファシグラで気づかされた。

 
翌週、6月14日(日)のゲストは「空飛ぶ園長」こと木村太郎さん。大阪府の池田市で「さつきやま森の学び舎&ようちえん」を運営し、一方で世界中の自然を飛び回りながらエコツーリズムのガイドをしている。
ようちえん・小学生・大人まで、0歳から100歳までが一緒に、今いちばんやりたいことをやっていく場。コロナで社会のひずみが一気に現れるなかで、保育や教育の現場にしわよせがいった。そのなかで、子どもも大人も分け隔てなく、自ら考え、情報収集して、方向性を決めていく力をつけていく学び舎は、柔軟にこの事態に向き合っていた。木村さんは、「知性は結論を導き出す。判断を導き出すのが感性。結論を導き出す力ばかりつけても判断できない。判断できてもちゃんとした理論を身につけて結論を出すことができない。この両方を身につける力を子どもたちがつける」ことを実践している、という。そして、大人にこそこういう場が必要であると、「学びを一生続けられる環境をつくろう」と決めた。

「さつきやま森の学び舎&ようちえん」は設立9年目。2年前に一般社団法人化して、ようやく経営が黒字に転じたという。園長の木村さんもスタッフも、経営においては1人1票で意思決定をしていく「フラット型組織」。今、事業の95%はスタッフだけで動かせるようになり、「ノウハウを完全コピーできるトレーニング」が完成しつつある。独自の経営基盤が整ってきて初めて、「森のようちえん」の全国ネットワークに属し、横のつながりを持って広く交わることを選んだ。「オリジナルのものをつくるまではあえて混ざらない」と、山川さんは評し、「独自の教育方針(オリジナリティ)を守るためには、外(行政など)から文句を言われないように稼ぐしかない」と木村さんはいう。その基盤が整ってきたということは、スタッフの主体性と団体の方向性が合致しており、自動更新していける生態系のように森の学び舎が育ってきている証であろう。木村さんはまた、「空飛ぶ園長」として風のように外に向かっていく。さっそく、ライブ終了後には独自のZoomの語り場を立ち上げて、動き出した。なんとも「多動」な人だ(褒め言葉です)。


ここまで、ゲストの「多動」っぷりが際立っているなと感じてきていたが、第7回目の永瀬賢三さんは地に落ち着いた印象を与える、穏やかな語り口で話を始めた。永瀬さんは「東京のガラパゴス」の板橋区で、商店街のなかでコワーキングスペースやカフェを運営し、築100年超のお米屋さんをリノベーションした「板五米店」を運営している。向こう三軒両隣という会社名は、永瀬さんの志の強さを表している。

「地域に根ざしたまちづくり」という言葉は、耳あたりもよく、誰からも受け入れられやすい。しかし、それを本気で取り組もうとすれば、逃げ場のない茨の道であり、より強い覚悟が求められる。商店街が連なり、都心なのに地元感のあるまち、板橋。行き交う人が挨拶を交わし、ところどころに地域の人が集えるコミュニティスペースやカフェがあり、「顔の見える」関係がにじみ出ているような商店街。私も、山川さんに誘われて、板橋区の地域電力会社「めぐるでんき」の市民活動支援プログラムの審査をした時に、その雰囲気を垣間見て、カフェをリノベーションしている最中の永瀬さんが汗を流す姿をちらりと見た。このまちを「つなぐ」人が、一人でもいれば、まちは変わる。板橋の場合は、それが永瀬さんだ、ということは、その時にわかった。

永瀬さんは、板橋の街並みが、マンション開発などにより「地元なのに地元がなくなる感覚」にさいなまれて、地元で生きることを選んだ。「誰か一人が腹をくくって、責任をもって、自律的にやったら、まちがどこまで動くんだろう、保たれるんだろう」という好奇心から、自らが当事者性をもって、主体的に、腹をくくった。結果、永瀬さんのもとには、いつも人が集まってくる。人と人をつなげる役割を果たしている。永瀬さん自身が、板橋のまちの、人と情報をつなげるプラットフォームとなり、まちを動かしているのだ。ナショナルチェーンよりも個々人の顔が見える、思いや生き様が強く現れる商店街に、コロナ時代「だからこそ」なのか、人が戻ってきた。

そんな永瀬さんは、「出る杭として打たれまくっている」という。生き方、価値観、歴史的な背景も多様な他者の集まりでもある地縁型コミュニティは、同じ思いを持って集まるテーマ型コミュニティよりも、何かを動かすこと、意思決定することのハードルは高い。永瀬さんは「わかってもらおうと思うのは傲慢」といい、「黙認してもらうことをゴール」と言い切る。「黙認してもらって、そこで結果を出す」ことの積み重ねで、まちの認識を変え、重鎮たちも認めざるを得ない状況をつくり出していくーー。永瀬さんの背負う十字架の重さと、覚悟の強さに、心打たれた。それがどれくらいの痛みを伴うものなのか、わかるから。でも、その一人がしなやかに存在し続ける限り、街並みはナショナルチェーンに掃討され尽くすことはない。たった一人の存在が、在来作物の「種」のように、その土地の歴史や文化、風土をよみがえらせ、新たな「物語」を生み出していくのだ。


5月4日から9回にわたって繰り広げられた山川さんと「変人」ゲストの対話の時間、エンパワーライブ寺子屋は、6月28日に最終回を迎えた。川下和彦さんは現在、大手広告代理店博報堂の子会社・quantumのクリエイティブ部門の役員として、新規事業の開発に従事している。『コネ持ち父さん コネなし父さん』(ディスカバー21)、『ざんねんな努力』(アスコム)などの著書を持つ文筆家でもあり、山川さんとは大学の同級生。広告代理店のクリエイティブディレクターという肩書、プロフィールの強面の画像から、ちょっと緊張しながら話を拝聴したが、何とも静かで穏やか、そして物事の本質をていねいに解きほぐしていく語り口に、すっかり魅せられてしまった。

教育家系で育った川下さんは、「会社員になりたい」と思って広告代理店に入社した。「会社の漢字をくだくと、社で会う。志を同じくしている仲間が集まって、一人じゃできない場所をやる場。一人じゃできない影響力のあることを、志を同じくする仲間とやる、尊い場所だと思う」。そして、目の前の仕事をコツコツと積み重ねてきたことで、小さなベクトルを積み上げて、道を切り開いてきた川下さん。物書きとしても、新規事業の立案にしても、「利他即利己」の精神で、仕事をつくっているという。「GIVEの、最後に手渡しする瞬間を想像する。精度として納得するレベルになること。これを渡した瞬間にその人はどう思うかを、何度も繰り返し想像することを通して、妄想力が鍛えられる」。これを「水際の手渡しの瞬間を想像する」と川下さんは言った。

私は、市民ライターの養成講座で、いつも次のようなことを話している。「記事は贈り物だから、届けたいたった一人の読者のことを徹底的に考えて書いてください。それが結果的に周りにも滲み出ます」と。贈り物を渡した瞬間に、相手がどんな顔をするのかを想像して、徹底的によいものをつくっていく。そのプロセスは、贈る側の心も仕事も、磨いていく。「実現したい未来」だったり「目指している頂」について、粘り強く考える、考え抜く。届けたい相手に、贈り物として思いを伝える。そんな、利他の心にあふれたものや情報にあふれた社会は、生きていて幸せだろうなと思うし、そんな社会をつくる一員でありたい、と、川下さんの話を通して、じわじわと感じていた。


川下さんは、エンパワーライブ寺子屋を「物語の中継点」とまとめた。2カ月にわたって、「変人」たちが集い、語り、生まれた対話の結果を、誰に、どう届けていくのか。一人ひとりの心に、何らかの「物語」が生まれている。その物語を届けたい先の、読者の顔が見えているのか? その物語を届けた時に、その相手はどんな表情をするのか? 

やり方、地域、形は違えども、「同じ頂」を目指している仲間が集まった2カ月間。コロナの混乱期にぽっかりと生まれた「空白の時間」を経て、今また、目まぐるしく「ニューノーマル」が動き出している。2011年の衝撃とはまた違う、これから長く続くであろう本質的な変化を生み出す時代に、それぞれの内に生まれた「物語」を、それぞれが、誰にどう届けていくのかを見届けてみたいし、時にはジョイントして「大きな物語」をつむぎ出してもみたい。その時には、物語につながる文脈、寺子屋で浮かびあがったキーワードの一つひとつの意味を、ていねいに解きほぐし、共通性を見出していくことも必要であろう。「地域エネルギー」とは何か。「ローカルメディア」や「教育」や「農業」「エコツーリズム」との共通性とは。大きな物語をつむいでいくには、それ相応の覚悟が求められるし、「本気」を経験している人たちの知見をつなぎあわせることにもかなりの熱量が必要だろう。

その時に、「つなぐ」存在が重要な役割を果たす。エンパワーライブ寺子屋を支えたのは、インタープリターや山伏、ファシリテーショングラフィックなど、多才な専門性を持った裏方たちだ。人と人、人と社会、人と自然をつなぐ、一人ひとりの「編集力」が際立って、この場が保たれていた。エンパワーライブ寺子屋に集った人たちの、一人ひとりに生まれた「物語」がまた、動き出した時を経て、誰かのもとに届き、そしてどこかで合流する時を、楽しみにしている。