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2019.06.16

「なぜ、エネルギーを地産地消するのか?」【社長BLOG】

東京に自然エネルギーの森を作ろう・たまエンパワー代表の山川勇一郎です。

エネルギー業界に身を置いて実感するのは、この分野は「複雑で、奥深い。」ということです。
従って、なかなか一般の人の理解が深まらず、業界の中だけで保守的な議論に流されがちです。一方で、実にチャレンジしがいのあるテーマとも言え、事実、私はその魅力に引き込まれています。

弊社は「エネルギーを地産地消する世界の実現」を目指しています。
ではなぜ、エネルギーの地産地消が必要なのか、その先にどんな社会が待っているのか、私見も含めて書いてみたいと思います。
(エネルギーは電気・熱・運動など様々な形態がありますが、ここでは「電気」を主に扱います)

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地下に埋蔵された石炭・石油・天然ガスなどのエネルギー資源の発見によって、産業革命が起き、近代の工業化社会が花開きました。大量の電力需要を満たすためには、大きな発電所で大量に電気を作り、送配電網を通じて末端の消費地まで運ぶシステムが最も効率的です。そのために、直流から交流に変換し、圧力を高めて遠くに無駄なく運ぶなど、いくつかの技術的なイノベーションが生まれ、20世紀の世界の電力システムは形作られていきました。

日本においては、戦後、復興期の大量の電力需要を賄うため、日本を縦に分け、エリア毎に電気を作って(発電)運んで(送配電)売る(小売)を垂直に統合した8電力体制(沖縄返還後は9)になり、現在に至っています。

電気の基本的な性質として「貯められない」ので、「使う分だけ、作って、送る」のが基本です(もちろん「蓄電」はありますが、必要な電気量に比べてまだ少量・高額・高損失です)。
電力会社は過去のデータや天気などから末端の需要を予測し、翌日の発電計画を立てて、どの発電所をどの出力で動かすか決めます。その上で、瞬間的な最大電力量(デマンド)を超えないように注意を払いつつ、分単位で供給量をコントールします。私たちが何気なく使っている電気は、こうしてコンセントの向こう側から絶え間なくやってきています。

このように、化石燃料をベースにして大量生産・大量消費の20世紀の近代文明が花開きましたが、その代償が地球温暖化です。これからも人間が地球に住み続けられる環境を維持するには、エネルギーの脱炭素化は必須であることは周知の事実です。
2015年のパリ協定以後、世界は急速に脱炭素化に舵を切っており、今後、石油や石炭などは存在しても燃やせない(あるいはCO2処理のために多大なコストがかかり採算が合わない)時代がやって来るでしょう。
原子力発電については、CO2を排出せず、使用済み燃料を再処理することで更にエネルギーを生む夢のエネルギーとして最有力視されていました。しかし、福島原発事故以降は安全コストが飛躍的に増大し、経済的に見合わなくなってきており、アメリカや英国では原発新設計画が相次いで中止されるなど、かつての勢いはもはやありません。

では、自然エネルギーはどうでしょう?自然エネルギーは太陽光、風力、水力、地熱、バイオマスなど様々ですが、特に昨今注目されているのは太陽光と風力です。これらは地域に広く薄く点在していますが、天気や環境によって発電量が左右されるため、「不安定」「使いづらい」「コスト高」の電源とされてきましたが、ここ5年くらいで急速に変化してきています。

まず、発電コストですが、特に太陽光発電のコスト低下は著しく、爆発的な普及でこの5年で1/4ほどに下落しました。今後も下がり続ける見込みで、近い将来、化石燃料を完全に追い越して「最安」の電源になることは間違いありません。
更に、太陽光や風力は原材料がゼロのため、投資回収が終わるとほぼゼロ円の電源になります。一時的な投資負担はあっても10年後の差は歴然と言えます。発電効率も上がりつづけています。こうしたこともあり、欧米の企業はこぞって自然エネルギーにシフトしています。

地域に広く薄く遍在するという点では、「(太陽光などで)発電した電気を近くで使う」ことは、送電ロスがなく合理的です。今までは個々のシステムが高かったため、中央で作ったものを末端に行き届かせる「中央集権型」のシステムが合理的な時代が長らく続きました。が、インターネットが世界中に張り巡らされ、分散したシステムをつなぐコストが限りなく小さくなった現在、「小規模・分散型」の網の目状のシステムが、最も効率的で、災害にも強い。技術の進歩や社会変化によって、電力システムの常識が変わりつつあります。
実際、火力発電は、投入したエネルギーが熱として途中で消えてしまい、私たちの手元に電気としてたどり着くのはおよそ50%です。古い火力発電所を使い続けることは地球を無駄に温めているのと同義で、その事実を私たちはまず認識しないといけません。

地域の中で必要な電気を必要なだけ生み出して使い、余った時にグリッド(電力網)に送り、地域の中で融通しあう。電気を消費する機器がネットワークにつながっていて、足りないときは余っているところから電気が送られてきて、それがあたかも一つの生き物のように協調して融通しあうような仕組みがつくれれば、地域でより効率的に電力が利用でき、結果的に化石燃料に頼らずにすみます。

そもそも地中深くから掘り出し、海を渡って延々と運ばれてきた化石燃料が、各地にほぼ無限に降り注ぐ太陽光より安かったという状態が異常だったとも言えます。21世紀になって、身近なエネルギーを昔よりいくらか上手に使えるようになりましたが、それでも、地球上に降り注ぐ太陽エネルギーだけで、全世界のエネルギー消費量の1,400倍以上あるにも関わらず、私たちはこのエネルギーを全くといっていいほど使いこなせていません。つまり、自然エネルギーのポテンシャルはほぼ無限です。

日本は"化石燃料"資源に乏しい国であるため、現在も年間20兆円もの燃料を輸入し続けています。他方、未開発の自然エネルギー資源は日本各地に豊富にあります。自然エネルギーを地域で開発し、地域で融通することは、今まで化石燃料の産出国に流れていたお金を内需に回すことができます。自然エネルギー開発や省エネルギー産業に予算を振り分けていくことで、地域経済が活性化します。そこで生み出された利益を地域にさらに還元していくことで、もっと安全で、もっと環境によく、もっと気持ちのいい生活ができるはずです。

エネルギー開発は時間がかかります。だからこそ、政治がリーダーシップを取ってまずは自然エネルギー100%社会の方針を示し、地域の自然エネルギー資源を優先的に開発していくべきです。その間のつなぎは、限られた化石燃料や原発を上手に使いながら、フェイドアウトさせていけばいい。
0/100の議論は分断と思考停止を招くので、グラデ―ションはあっていいと思いますが、20世紀のエネルギーに過度な期待をかけるべきではないと思います。

カギを握るのはやはり「地域」です。地域のエネルギー事業で利益をしっかり継続的に生み出すモデルをまずつくること、地方自治体や地域金融機関、地域事業者など地域で経済が回る仕組みをつくること、各地の先進的な取り組みをしている組織同士がつながること、それを他地域に広げること、こうした取り組みによって、日本全体のエネルギーシステムを地産地消型に変えていくのが、遠いようで実は一番の近道だと思っています。

いかに革新的な技術があったとしても、それだけでは世の中は変わりません。それを地域社会に実装していくには、地に足をつけて、地道な努力で実績と信用を積み重ねていく必要があります。弊社が、自家消費太陽光の開発や、その主要な担い手である地域の施工店の技術支援、地域電力会社の運営、ソーラーシェアリングと観光農園事業などを手掛けているのは、そのような意図があります。

もちろん、変動する電源を送配電網がどう吸収するのか、巨大な電力需要を自然エネルギーだけで賄いきれるのか、送配電網を維持するコストは誰が負担するのか、など、技術的、制度的に超えなければいけない壁はいくつもありますが、それは次回に。