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2019.03.17

3.11から8年。コンセントの向こう側の世界を創る。【社長BLOG】

東京に自然エネルギーの森をつくる・たまエンパワー代表山川です。

2019年3月11日で、東日本大震災から丸8年が経ちました。
震災と原発事故のことを気軽に語ることは未だ憚られますが、私がエネルギー業界に足を踏み入れる直接的なきっかけとなったできごとなので、個人的なおもいを含めて書きたいと思います。

あの日のことは鮮明に覚えています。

その時私は、客先の熱海のホテルのロビーにいましたが、客船を模した海沿いのホテルで、まるで嵐の中の船上にいるような大きな揺れに、ただならぬことが起きている予感がしました。
しばらくして被害の状況が分かってくると、いてもたっていられず、当時勤めていた組織の緊急救援隊に志願し、集まった救援物資を2tトラックに積めるだけ積んで、震災後7日目に福島に向けて出発しました。行き先を福島県いわき市になったのは、事業を一緒に行っていたNPOが同市に拠点を構えていたこと以外に特に理由はありませんでしたが、結果的にその後の私の人生に大きな影響を与えることになります。

約1か月の現地滞在期間中、無我夢中でやれることを探しながら、被災現場に向き合う日々でしたが、地震と津波の被害はもちろん、「原発事故」とそれに伴う様々な「風評」という今までの災害とは全く異なる性質の被害に戸惑いと無力感を感じざるを得ませんでした。

私はそれまで10数年間、環境分野に身を置いていましたが、恥ずかしながら「エネルギー」ついて全く意識したことがありませんでした。当たり前すぎて、空気のような存在だったという言い方が正確かもしれません。しかし、その時初めて「コンセントの向こう側」の世界がどうやら大変なことになっているという事実を知り、愕然としたのです。
コンセントの向こう側.png
それから自分なりにエネルギーについて調べる中で、エネルギーは国を支える根幹であること、世界の多くの紛争はエネルギーを巡る争いだということ、エネルギー転換によって新たな文明が生まれてきたなどの事実を知りました。そして、エネルギーは、私たちの日々の暮らしや未来に密接にかかわり、平和な社会づくりに極めて重要なファクターであるにもかかわらず、電力業界や一部の政治家に任せきりにしてきたことが問題の根幹にあると感じました。

つまりこれは「エネルギー源を石油にするか太陽光にするか」という単純な問題でなく、社会、政治、歴史、文化など全てを包含した大きなシステムの問題であり、「エネルギーの民主化」と「再エネへの転換」の両面が必要であると感じました(当時は言語化できていませんでしたが)
とはいえ、問題が大きすぎて、何からどう手を付けてよいのか全く分からず、悶々とする日々が続きました。当時私は組織の取締役だったのですが、エネルギーに関して個人としても組織としても、経験も技術的蓄積もほぼゼロ状態で何かをするには限界がありました。

一方、コミュニティが中心になってエネルギーを民主化する取り組みが欧州各地に勃興し、それが震災前後に日本にも入ってきて「ご当地電力」とか「市民電力」とか「コミュニティパワー」とか呼ばれて各地に団体が立ち上がりつつありました。
私の生まれ故郷でも、市民が中心になって、エネルギーの地産地消を進めようとする動きが活発化、都市部でのエネルギーの地産地消を目指す取り組みとして環境省のモデル事業に採択されました。
「自分の生まれ育った場所で、足元からエネルギー転換に取り組む、それを仕事にする。」そうしたチャンスが目の前にあり、自分の近しい人が活動に関わっていたこともあり、事業体を立ちあげてビジネスをする体制を作る段階で、10数年勤めた組織を退職して地元にUターンし、2013年に事業体の立ち上げに参画しました。

それから6年間、「東京に自然エネルギーの森をつくろう。」を旗印に、FITの屋根借り太陽光発電事業を皮切りに、省エネルギー機器導入、企業や自治体の再エネ推進計画策定支援、地域新電力事業への参入、ソーラーシェアリング事業、自家消費の太陽光発電事業などに取り組む傍ら、エネルギー環境教育や人材育成などの普及啓発などにも仲間と一緒に取り組んできました。

創業当時は「100%再エネ社会を東京から実現する」などと言うと、「すごいね。でも実際は難しいでしょ...」と必ず言われました。ただ、2015年12月のパリ協定を経て、時代の潮目は変わりつつあると感じます。地域でエネルギーを地産地消することは地方創生の文脈でも重要視されるようになり、国の環境基本計画にも明記されました。
また、IoTやAIやブロックチェーンなどの技術革新によって、電力システム自体が大きく変わる可能性があり、今まで閉鎖的であった電力市場が本当の意味で開いたとき、再エネの普及と融合して想像もしないような社会変化が生まれるでしょう。

一方、原発は事故前までCO2フリーの電源として、地球温暖化対策の有力な選択肢として考えられていましたが、事故以来、安全コストは飛躍的に増大し、世界の原発は計画中止が相次ぎ、社会的にも経済的も割の合わないエネルギーになりつつあります。実際、原発事故後はほとんど増えていません。
また、廃炉作業も収束の見込みは立たず、首相が勇んで語るような「アンダー・コントロール」状態でないことは明らかです。私たちは過去のエネルギー選択の遺産と、今後も長く付き合っていく必要がありますが、社会に希望をもたらすとすれば、それは原発ではなく再生可能エネルギーだろうと私は思います。

ただ現実は、再エネの普及を阻害する要因や勢力はたくさんあり、現場レベルでは困難なことの方が多いです。
しかし、化石燃料によって花開いた現代の文明を支えたマネー資本主義に陰りが見える中、有限な地球の中で調和的に生きるために、社会システムの再構築が求められていることは確かです。

空気、水、食料、エネルギー。生きる上で必要なものを地域でできるだけ自給し、物質的な豊かさより、精神的な豊かさを重視するような社会へ、幸せの尺度がゆるやかに変化しているように感じます。そうした中で、再生可能エネルギーはそうした社会を支える主要なインフラになるでしょう。むしろ面白いのはこれからだと思っています。

再エネ業界にいると、熱い思いをもって地域で力強く再エネを進める人たちに出会います。
8年前の3月11日。起きてしまった過去は変えられないけれど、確かにあの時、私の心に再エネの火が灯ったように、たくさんの人の中に再エネの火が灯り、それが今の再エネ業界の発展を支えていると感じます。

チャレンジしたくてもできない人は世の中にはたくさんいる中で、自分はありがたいことに再エネ業界で取り組むチャンスを頂けた。そうした意味では、今の自分の立場でやれることをやり続けることが最低限の自分の役割だと、震災から8年が経つ今、心新たにしています。